齢アラフォーともなると、体力の劣化が著しい。
たとえば、若い頃なら次の日のことなんて考えずに遊び回ることが出来た。言うてもそんなに遊び人じゃないけど。
今はどうかと言うと、まず朝から大抵どこかに痛みや違和感を覚えていることが多い。腰、肩、頭、足の関節…。前の晩、良さそうな入浴剤入れて湯船に浸かってたのに効き目ないのかなあと思う。
そして今日1日どう体力を配分しながら過ごすかを考える。まあこれは頭より体を酷使するからというのもある。仕事はちゃんと頑張るけど、いかに力を抜きつつやるか、みたいなことをなんとなくだけど考えながら動いている。
そんな風にして1日を終え、帰宅すると猫の世話と遊び相手をしてやり、簡単な夕飯をいただき、動画や配信を見たり推しのSNSをチェックしたりしつつ風呂を済ませて短い睡眠を取る。
体調回復には早寝するのが良いってことは知ってるけど、息抜きというのかな、最後にそういうリセット活動をしないと翌日以降の活力がチャージ出来ない。うん、今なんかすごくしっくり来る表現が出来た気がするぞ。リセット大事。本当はリセットよりもリフレッシュしたいけどそこまでの余裕はなかなか無い。
そうそう、こうして文章を書く(打つ)こともリセット活動の一つである。
その時思っていることや、考え、感情、揺らぎ、その瞬間に記録しないと過ぎ去ってしまうから。なので僕の下書きにはわけわかんない言葉の羅列とかがよく入っていたりする(笑)。
で、時間ができたらそういうのを一つの記事にまとめてみたりとか。まとまらなきゃそのままにしておくだけ。
ふと考えたのは、歳を重ねるにつれて無駄なものが削ぎ落とされていくのかなということ。
思考にしても行動にしても感情にしても。
若い頃は体力も余分にあるから無駄にエネルギーを消費したり、感情も沢山揺れ動いてしまったりする。
無駄と言ってはいるけれど、そうやって経験を積みながら、やがてその人の本質の部分が残っていくんじゃないかな。
もちろん若くたって中にはすべてを悟っているような達観した人もいると思う。なので一概に年齢で見るつもりもない。
人生で何を学んでいくかは、すべてその人のオリジナル。そういうものを認める、受け入れるということ。
それを“多様性”と呼ぶのではないだろうかね。
今はなんでもかんでもジャッジしすぎなんだと思う。常識とか、ルールに従って。
それって一体誰のもの?
自分の物差しは自分にしか扱えないし、自分にしか通用しない。他者を測る為にあるものではないんだ。
こんなこと書いているけれど、自分はまだまだ悟ってもいないし、ましてや老け込むつもりもないんだよね。
無駄だな〜って思うこともやりたいし、チャレンジもしたいし、恋もしていたいし、日々新鮮な自分で生きたい。
今日も生きてる意味なんて、そんなシンプルなもの。
だって今日と変わらない明日なんて退屈じゃん。と思います。
読んでくれてありがとう。
今日の一曲
のびしろ / Creepy Nuts
Creepy Nuts / のびしろ【MV】 - YouTube
俺らまだのびしろしかないわ