あいどんわなだい

愛はどんなんだい

能登半島地震

 

 

まずは、この度の令和6年能登半島地震により被災された方々にお見舞い申し上げます。犠牲になってしまわれた方々や、その大切な人たちの無念はいかばかりか、想像も及びません。

 

 

 

その日のこと。

こちら仙台でも、いやな感じの長い横揺れがありました。何かのテレビを見ていたところでしたが、緊急地震速報も鳴りました。

 

 

真っ先に自分の心の動きとしては、「心を守ろう」としました。発災当初の情報は追いましたが、それからはなるべく最小限に抑え、いつも通りの生活と精神状態を保つことを心がけました。そのことにも感謝しつつです。

 

 

そうして今、少し心に余裕が持てる状況になり、ラジコなどで発災から数日間のいくつかの番組をチェックしました。

 

 

刻々と変わっていく被災状況。インフラが止まったことによる避難所の劣悪な環境。電気も止まり、食料も水も足りない。衛生用品も。救助に入るにも物資を運ぶにも道路が寸断、崩落しているなど、半島地形の特有な道路事情などもあり思うようには動けない歯がゆさ。そういったものを知りました。自分のことをまず考えたことを恥ずかしく思い、少し後悔もありました。

 

 

ニュースから流れてくる行方不明の方々の名前。

それは1人1人が名前のある存在で、1つ1つの命であるということ。

想像する。

元旦に、久しぶりに集まっていた親戚同士や、友人、子どもたちも居たことだろう。まさかこんなことが起こるとは夢にも思わずに。

 

 

「(1月)1日になんでこんなことされなきゃいけないんだ」

 

 

被災した方の悲痛な叫びをテレビで聞いた。

 

 

 

今この瞬間にも、命を助けつなぐため、被災した人たちのケアのため、ライフラインの復旧のため、精力的に活動している皆さんがいます。本当に頭が下がる思いです。

 

 

僕は人命救助のエキスパートでもなければ、災害支援の知識なんてのも不勉強でほとんど持ってない。あり余るほどのお金があるわけでもない。たとえ何かしたいと思っても、具体的に直接的に何か役に立てるとは思えない。本当に無力、その一言に尽きる。

 

 

結局は日々の自分の仕事をやっていきながら、好きなことにも気持ちを向けながら、心身ともに健康であること、命あることに感謝して生きていくこと。

そんな平凡なことしか言えないけれども、そんな平凡な毎日こそが本当に幸せで豊かさに恵まれているものだと気づくこと。

 

 

その中で、もし少し余裕があれば、これから長期戦になっていく復興の手助けになるような募金であるとか、現地の名産品や美味しい食べ物やお酒を応援するとか、自分にできそうな範囲のことで何かの力になれればとは思っています。

 

 

僕は東日本大震災時、宮城にいたわけじゃないけど、今この宮城県で生かされている者として。

 

あの時、全国から、そして全世界から本当にたくさんの応援をもらって、心配してもらって、今ここにこうして暮らしていられるのはそんな支えに助けられたからだ。今度は支える番だ。困ったら助け合えばいい。それが出来るのが人間の素晴らしいところのはずだから。

 

 

こんな文章を書いたところで、誰かを助けられるわけでもなく、ただの自己満足に過ぎないのはわかっている。それでも、この2024年の始まりに、こうしてブログを続けていく上でも、このことをスルーしていくわけにはいかなかったです。ご理解いただければと。(それにしても、まともな大人の文章が書けない大人だということがバレそうでいやだなぁ。)

 

 

最後になりますが、被災地の皆様が、少しでも早く、少しでも安心して生活ができることを心から願ってやみません。