さすがに小言おじさんが過ぎたな、と反省している休日の25時。(Twitterの話です)
恥ずかしい話をする。
こっそりと。
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僕は挨拶が苦手です。日常の挨拶。社交辞令的な挨拶。そんなのは習慣でやればいいだけなのにだ。作り笑顔も苦手。
いつからそうなったのか自分でもよくわからない。
当然した方が良いんだというのは分かっている。出来ないわけじゃない。でもすごく苦手。相手の様子を窺って声をかけるタイミングとかを気にしすぎて結局言いそびれたりとか。出来ればしないでやり過ごしたいと思ってしまう。
挨拶が最たる例だけれど、とにかくコミュニケーション力が著しく低い。というよりも関心がない。雑談とかも極力参加しない。だいたい誰かの悪口陰口だったりもするし。自分にプラスにならない。なら参加しなくていいって思っている。
でも仕事や作業を円滑にするためのコミュニケーション(いわゆる報連相ってやつ)なら出来るんだよな。
なぜってそのコミュニケーションの手間を惜しんで仕事の効率が下がったり負担がかかったりする方がかえってめんどくさいから。めんどくさいのはお前だよばかやろう。
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挨拶が苦手な人、で検索してみた。
心理分析しているのだとか、どう克服したか、みたいなことが書いてあるのばかりが出てきた。
いや、別に分析はいらないし、克服もしたくないのよ。だってそれがなぜなのかに興味はないから。
しかしじゃあ何を求めて自分は検索してたんだ?
と問うてみる。
「挨拶はしなくてもいい。」
これが答えだ。
「苦手なら無理にしなくても大丈夫。」
それを求めていたのだ。
でもそんなことはどこにも書いてなかった。
どこもみんな、「挨拶は社会人のマナーだから」とか。
「常識のない人だと思われてしまう」だとか。
挨拶しないやつは、やっぱりそれだけで非常識人間と判断されてしまうらしい。
はぁ。
やはりインターネットの中に答えはない。
アホくさいくだらない常識に縛られて縛られて縛られ続けているから生きにくいんだろうが。
また言い過ぎた。
挨拶がくだらなくないなんてわかってる。
しっかりハキハキと挨拶が出来るアイドルを見て、素直にえらいな〜って思うもん。
でも、
例えば変な事件を起こすようなやつの心理、解りたくもないけど、それでも鬱屈してどこにも吐き出せないものが溜まっていく不快感、居心地の悪さはわかってしまうんだよ。
常識。
同調圧力。
やって当たり前。
いい大人のくせに。
生きづらい世の中だ。
世界は思っているよりも優しいよ、
なんて僕が思えるようになるのは、
どうやらまだ先の話なのかな。