amazarashiというアーティストが好きだ。
きっかけを思い返すと、バイトをしていた頃に店の有線で『つじつま合わせに生まれた僕等』が流れていて、この曲は歌詞の力が半端じゃないと強く印象に残った。この世界で起こる生き死に、循環、輪廻。そういうものを描いていた。
amazarashi 『カシオピア係留所』Music Video feat. 「チ。」 - YouTube
ある日、このMVを見て、これは読まなくてはというか、避けて通れないものだなと直感した。物語の内容が分からないとこのMVの凄さも感じられないと思ったから。
『チ。-地球の運動について-』
話題の漫画らしい、という程度の知識のみあった。タイトルから地動説とそれにまつわる人々の物語なんだろうなぁとはある程度想像がつく。確かにそれは間違いではないのだけれど。
先に読み終えた感想、というか気持ちを書いておくと、「言葉が出ない」。こんな読後感は初めての経験だ。
それからどうにかこの作品について書こう書こうと思いながら日が経ってしまった。
その間も、頭の片隅に『チ。』のことはずっとあるままだった。
第1巻から衝撃の連続だった。
まず前置きしておくと、この作品は基本的にフィクションである。ただ、フィクションとは言い切れないところもおそらくはあるのだろう。現在では科学的に正しいと広く認識されている「地動説」。この理論を唱える研究者が異端とされていた時代があったことはなんとなく知っている。宗教的、思想的弾圧というのも実際あったのかも知れない。
その地動説に出会い、魅せられて、囚われる。
そういう人間が時代も場所も超えて何人も現れる。
異端とされようと、身を危険に晒そうと、なりふり構わずにこの世界の真理を探究していく。「神」の作ったこの世界は完璧で美しいはずだと信じながら。たとえ命を失おうとも、その続きを自分以外の誰かに託して。
人間の根源に迫る言葉が数多く出てくる作品である。
少し長くなるけれども、個人的に感銘を受けた部分を引用してみたい。
君の言うように、この世は喪失で溢れている。
それに、人はいつか死んでここを去る。
でも、私が死んでもこの世界は続く。だったらそこに何かを託せる。
それが喪失まみれのこの世界から生まれたある種の、希望だ。
(第9話)
人は先人の発見を引き継ぐ。
それも、いつの間にか勝手に自然に。
だから今を生きる人には過去のすべてが含まれてる。
何故、人は記憶に拘るのか。
何故、人は個別の事象を時系列で捉えるのか。
何故、人は歴史を見いだすことを強制される認識の構造をしているのか。
私が思うにそれは神が人に学びを与える為だ。
つまり──歴史は、神の意志の下に成り立ってる。
創世記50章に書いてある。
神は“この世にある悪を善に変える”
それが神の意志。神は人を通してこの世を変えようとしてる。
長い時間をかけて少しずつ。
この“今”はその大いなる流れの中にある。
とどのつまり、人の生まれる意味は、その企てに、その試行錯誤に、“善”への鈍く果てしないにじり寄りに、参加することだと思う。
悪を捨象せず、飲み込んで直面することでより大きな善が生まれることもある。
悪と善、二つの道があるんじゃなくすべては一つの線の上で繋がっている。
そう考えたらかつての憂節さえも何も無意味なことはない。
でも、歴史を切り離すとそれが見えなくなって、人は死んだら終りだと、有限性の不安に怯えるようになる。
歴史を確認するのは、神が導こうとする方向を確認するのに等しい。
だから過去を無視すれば道に迷う。
(第48話)
確かに、僕らは敵対した関係でしたね。
──この世には様々な人がいる。
正直者も、嘘吐きも、情けない奴も、勇敢な奴も。
さらに驚きなのが、一人の人間にそのすべての要素が入ってることもざらにあるし、それが日々変化したりする。
こんなに大勢いるのに誰一人、同じひとはいない。
そりゃ争いは絶えないでしょう。
でも、だけどです。
過去や未来、長い時間を隔てた後の彼らから見れば、今いる僕らは所詮、皆押しなべて“15世紀の人”だ。
僕らは気付いたらこの時代にいた。
別の時代でもよかったのにこの時代だった。
それはただの偶然で無意味で適当なことで、
つまり奇跡的で運命的なことだ。
僕は同じ思想に生まれるよりも、同じ時代に生まれることのほうがよっぽど近いと思う。
だから、絶対そんな訳ないと思いつつも、感情と理屈に拒絶されようとも、こう信じたい。
今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。
(第57話)
今、漠然と感じている方向性に合致するところも多く、やはりこのタイミングで出会うべくして出会ったのだろうと。
amazarashi 誦読『つじつま合わせに生まれた僕等 (2017)』 Music Video - YouTube
──この物語はフィクションであり
実在する事件、団体、人物との、
いかなる類似も必然の一致だ
だが現実の方がよっぽど無慈悲だ
(amazarashi『独白』)