あいどんわなだい

愛はどんなんだい

サイレントマイノリティー

なんか、疲れたなー。

世の中を見れば、今日もチクチクしてるし。

あんまり触れないでおこうというのが基本姿勢ではあるんだけど、今回はあえて真っ向から。

 

 

前置きしておくと、私は極端に人付き合いが少なくて全くないと言ってもいいくらい。会食、まあいわゆる飲み会みたいなこともしてないし、外食するにしても一人きり。誰かと話しながら、なんてことは年に数回もあればいい方。なので、そもそも世間の人とは感覚がズレている可能性も大。実はもう世間じゃ普通に皆「ウィズコロナ」やってんのかも知れない。

 

 

ちらっと匂わせたりはしてるので勘づいていた人もいるでしょうが、自分はこのいわゆる「感染症対策」等には懐疑派。ただし反対というほど強いニュアンスではない。個々人の判断でいいと思う。

初期の過剰とも思えるくらいの対応をしていた時期、まあでもそれはまだどういうものか分からなかった時期でもあるので仕方ない面はあっただろう。まず壁を高く作るのは間違いじゃない。

ただ、「新しい生活様式」だとか、「時短要請」だとか、「大切な人を守るために」とか言い出した時点で、世間の目が大好きなこの国でそんなことやり始めちゃったら収まりつかなくなるぞ〜と。

 

 

案の定、である。

 

 

もう付き合い方も大体分かってきた中で、3発4発打った上でマスクとれないってのはもう狂気の沙汰だと思うよ。

というか、普通に呼吸しづらくない?そっちの方が心身に悪影響及ぼしてると思うんだよね、少なくとも自分は。

そんなわけで最近しないで気持ちよーくお仕事していたらそれを指摘されたのでちょっと熱くなっています。

とりあえずはこれまで以上に徹底して着用しておくことにしました。大人の対応できる俺オトナ。

 

 

あとこれも言っておかないと勘違いされてしまうので言うけど、たとえば飛行機に乗るときとか、映画館とか、ライブハウスとか、そこの「ルール」として着用しなければならないってことになってる場所でもしないってことではもちろんなくてね。反マスクとは違う。

でも、その辺でちょっとした買い物をするのにいらんよな。外を一人で歩くときにいらんよな。運転中にいらんよな。人がほとんど乗ってない電車内でいらんよな。健康そのものな人にいらんよな。そういうこと。ついてしまった習慣は自分で意識しないと変えられない。

 

 

またちょっと別の角度のことを書こうと思う。

分かろうとしなくていいです。これは感覚的なので。

 

 

右でもあり、左でもある。

それは自分の中で矛盾していない。

やはり日本は美しいと感じることもあれば、クソな国だなと思うことだってある。

子どもでもあり、大人でもある。

親から見ればいつまでも子どもだし、社会の中では一応一人前の大人として扱われてる。

男でもあり、女でもある。

これは説明が必要になるかも知れないけど、れっきとした男性ではあるし自分が女だという性自認があるわけではない、でもかわいいものを見てときめく気持ちとか、魅力的な男性や男性キャラクターにときめく気持ち、他にもいろいろ、女っぽい部分も自分の中にあると思う。

そんな多様性を誰もが持っている。

 

 

みんなが自分を少しずつ殺すこと。

それは、調和とは言えないと思う。

自分を少しずつ殺しているから、自分からみんなズレていく。自分とズレていくから不調和が生まれる。

それぞれが自分自身であることを許す。

互いに認め合って尊重して否定しない。

その世界では戦いも争いも起こらない。

平和でも混沌でもない。

それは、ただシンプルな「今この瞬間」であるだけ。

 

 

動物や自然に目を向けるとよくわかる。

運命に逆らっていないということ。

それぞれが自分自身を生きることに没頭している。

そして調和している。

僕にはそこに真理が見える。

 

 

眠りたければ眠るし、食べたい時に食べるし、ご飯がなければ要求するし、一人になりたい時は一人で過ごすし、甘えたい時に甘える。

 

猫と暮らすようになって日々学んでいることである。

 

猫のように生きられたらいいなぁ、と思う。

 

 

 

終わりです。

 

 


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ふーん。

人間って変なこと考えるんだにゃー。

アタシはぽかぽかしてるところが気持ちよくて好きよ。