あいどんわなだい

愛はどんなんだい

明けまして。

 

 

 

「あのおばちゃん達、マスクしないで話してるから隣空いてるけど座れないじゃん」

 

 

(飲み食いするんだからマスクはしないだろ)

 

 

「食べたら着けて話せばいいじゃない」

 

「みんな消毒しないで入って行くのね、気が緩んでる」

 

 

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こんな会話をしたのを忘れない為に下書きに入れておいたのがちょうど1年前だったよう。

 

今回はここから記事を書き進めてみたいと思う。基本、ノープラン。

 

 

 

当時、その先に何を書きたかったのかはお察しの通りなのだが、まあ今年2023年というのは見た感じで言えば「元の生活に戻った」年だったと言えるのだろう。

 

ただ、以前と違うのはそこに深い分断が残されたこと。

 

いや、もともとあったものがより可視化されただけなのかも知れないな。

 

 

上の会話の相手も今年何度か会ったわけだが、未だに四六時中マスクをして外出しているようである。家の中までは知らない。

そのくせ、客が多いからと喫茶店に入らずバカみたいに寒い3月に外のテラスで座って話をしようとする。どちらが体に毒なのか、正常や判断がつかなくなっている。自分は寒いところで長話している方が体に良くないと思う。

 

 

かように、メディア等による洗脳、それが「正しさ」だと思い込ませる同調圧力、それはこれまで大成功を収めてきたのだろう。そうやって人々の意識をなるべく均質化させていくことによるメリットもあるというのは分かる。たとえば大衆の行動を誘導しやすくするとか。

 

 

しかし、現状を改めて見渡してみるに、そのメリットよりもデメリットの方がいよいよ目につくようになってしまっていると思うのだ。

 

 

 

そんな風にいうと直ぐに陰謀論者扱いをされる。

自分だって普段からそんなことを言いふらして歩いている訳では無い。ただ1人、頭の中で、あれは正しいのか、間違いなのか、それともわからないのか。

 

本当は全部わからないことだらけなんだけど、そういうことを考え続けている。

 

 

 

そして辿り着いた結論は「逆張りでいい」ということだ。

 

 

周りに合わせて、とか、世の中の動きがこうだからこうした方がいい。それが良きことだとされてきた。

協調性。同調圧力。悪だとは言わない。しかし無条件に良いとも思わない。

 

 

その思い込みから一旦外れてみる。

そうすると世の中の多くの人が見ていない部分に気づくことが出来るようになる。

 

本当にそれはしてはいけないのか。あるいは、しなければならないことなのか。

思考停止状態にならず、誰かの声になびくのではなく、自分の心の声を聞く。

 

動く前はビビってしまうかも知れない。

安全じゃないかも知れないから。何か代償を支払うことになるかも知れないから。

 

 

でも、それをする場合としない場合でどちらの方が良いかなんて、結局やってみなければ分からないのだ。それなら自分を実験台にしてやってみて確かめる。そんなシンプルなことが自分の人生を掴む第1歩のような気がするのだ。そもそも、良いと捉えるも良くないと捉えるも自分次第。どんな経験も代償も無駄じゃないと心から思えるようになったら最強。

 

 

 

言葉や思考も大切。願いや祈りだって大切。

でもそれだけじゃ足りない。

 

 

この地球で、体を持って生きる私たちは、行動してこそ本来の力が発揮される。

 

 

「自分がそんなこと出来るはずない」と思っていることは、大抵の場合ただの思い込みでしかないのだ。逆に言えば、「こんなことだって出来る!」という思い込み、勘違いを楽しんでいける人が強い。

 

 

 

思い込みの檻から飛び出して、もっと自由に行動していく。

 

 

そんな抱負を持ってこの年を越えていこうと思っているところ。

 

 

 

 

ここまで書いてきて、抱負なら新年一発目に書くべきだったんじゃないかと思ったりもした。まあいいか。

 

そんなわけで、今年もたいへんお世話になりました。来年もどうぞよろしく。

 

 

 

おわり