彼自身にはなんの思い入れもないしサイコパスなので悲しみとかはないんだけども、このことが与える影響や意味の重大さとか、犯人像のうす気味悪さとか、とにかくいろんなことが頭の中を渦巻いて疲れてしまった。
それらを一旦文章に落とし込んでみたらどうだろうという試み。政治的信条やスタンスを主義主張したいわけではないことを先に断っておきたい。
『日本は平和だ』という幻想
ちょうど前日のこと。
私の居住している仙台市で、登校中の中学生2人が男に刺されるという事件が起きた。普通に生活圏内での出来事だったので、「どこにそういうのが居てももうおかしくないんだな…」と感じたばかりだった。
今や、同様の通り魔事件は珍しくもない。
それでも皆口を揃えて「まさかこんな身近で…」などと言う。
まさか、ではない。全国どこでも起こり得ることなんだな、残念ながら。
とは言え、自作の銃のようなもので政治家を狙撃するなどという犯行はやはり常軌を逸している。
違和感
どのメディアでも判を押したように、民主主義への暴挙、と書いている。
そもそもさ、人を殺してはいけないし、傷つけちゃだめなんだよ。まずな。
そして、私が違和感を覚えるのはその犯人像。
詳しい動機などはこれから明らかになって行くのだろうけれど、今のところどうも政治的な意思によるものではないと話している様子で。
こんなことするやつは、当然そこに何らかの意思とか主張があると思うんだけど(※方法を完全に間違えているので論外なんだけど)、それが見えない。
勝手な思い込みによるものなのか、「お告げが聞こえた」系の人なのか。とにかく不気味なのだ。
ルサンチマン
今度は少し別の方向の話。
私はヨルシカという音楽ユニットが好きなのだけれど、こんな音楽が売れるって時代は病んでいると思う。悪口で言ってるんじゃないよ。
ヨルシカの歌って、文学的でもあるし、耽美的でもあるし、suisさんの美しい声だったり、美しい世界観だなと思う。でも、そこには昏く深い闇のようなものが広がっている。醜い自分、弱い自分というものを歌う。そんな自分になった原因はこのクソな世界だ。そんな世界はいらない、壊してしまえ。
そういう狂気も孕んでいる。(そこに私は“美しさ”も感じてしまうのだが。)
そんなヨルシカという音楽が、今、若い世代を中心に支持されている。決してそういうバイアス込みで彼らを見るようなことはしたくないが、見方を変えればそういう狂気が若者たちに蔓延しているのではないだろうか、と私は危惧する。
おもちゃのピストル
もう1つ若者世代の話をすると、FPSというゲームジャンルがあるという。簡単に言えば、一人称視点でキャラクターを操作して戦闘を行うというものらしい。これが、まあ世代は問わないのかも知れないが、この数年ゲーマーの中で盛り上がっているそうなのだ。確かにゲーム実況なんかでも多いイメージがある。
どれだけ敵を殺せたか、その力量を競い合うゲーム的な楽しさもあるのだろう。個人的には正直まったくわからない。自分じゃどうせ上手くできないっていうのもあるけれど、その世界観がそもそも相容れないのである。
幼い頃、親におもちゃのピストルをねだったことがある。TVでヒーローが持っていたりするし、かっこよく見えて憧れだったのだ。だけれど買ってもらえなかった。理由は「ピストルは人殺しの道具だから」。それでもねだるので最終的には親も折れて買ってくれたのだが、「絶対に人に向けて撃たない」というのが約束だった。
私がFPSゲームに惹かれないのは、未だにその時のことが頭に残っているからなのかも知れない。
明日からの未来
明日、7月10日には参議院選挙の投票日を迎える。
こんなことになってしまい、日本社会がこれまでにない強いショックに覆われているタイミングでの選挙である。
投票所へ行く前に、これだけは頭に入れておきたい。
投票は感情でするものではない。
平時でも同じこと。感情に訴えかける候補は疑え。
政策で戦え。結果、その政策を実現させられないこともある、変化することもある。人は変わるし時代も変わるから。
個人的なことを言えば、支持政党はない。応援している政治家もいない。
何なら毎回の選挙のたびに入れる政党が変わっているくらいだ。
もちろん自分の考えに近い候補に入れる、のが基本だが、時にはそうじゃないこともある。
あまりにもある党が強すぎると思えば、多少考えの違いはあっても少数政党へ応援の意味で投票をする。
キーワードは「多様性」。
国会に多様な立場の声を反映させていく。
いろんな人がいろんな主張をする。
それ全部聞くのなんて面倒くさいよ。でも聞くの。聞いて、じゃあどうしましょうかと何度も話し合う。その中でベターな解答を導き出す。そしてまたより良い道を目指していく。みんなで。
それが民主主義。
その為に私たち有権者に与えられた選択の機会が唯一、選挙というもの。
自由な言論が保障されていて、行きたいと思った場所へ自由に行けたり、住みたい所に住むことができたり、やりたい仕事ができたり。これからもそういう社会を堅持していきたいと思うか。
国のトップが決めたことが絶対で従わない者は罰せられる。あるいは、世の中の人々が監視し合い、空気に支配される、これから先、そんな息苦しい社会になってもいいのか。
僕は嫌だ!
不協和音を僕は恐れたりしない
嫌われたって僕には僕の正義があるんだ
殴ればいいさ 一度妥協したら死んだも同然
支配したいなら僕を倒してから行けよ