今回は、だいぶ胡散臭い話になるかも知れません…。いや、こいつとうとうそっち行ったか…じゃないんですよ。笑
まぁ、そういうブログはそこら中にあるので、同じようにはならないように書いてみるけども。
- 幸せは人それぞれ。
寒くなってきて、とにかく温かいものを食べたくなる。
仕事で疲れてお腹を空かせて帰宅する。寒い寒い…。
家に帰ると、炊きたてのご飯がある。それに永谷園のあれをふりかけてお湯入れてお茶漬けにする。食べる。
これ、幸せでしょう。
自分が食っていけるくらいの収入がある。
広くもない、新しくもない、それでも雨風をしのげる部屋があって、温かいご飯が食べられる。
いたずら好きだけど甘えたがりで元気な猫がいる。
追い焚きできる風呂もある。エアコンもある。全自動洗濯機も、美味しいトーストが焼けるオーブントースターもある。
たまには好きなアイドルに会いに行くことだってできる。
これが幸せじゃなくて何が幸せでしょう。
もう、足りてるんですよ。
でもそれは僕基準としての話。
これを足りなく思う人だっているでしょう。
それはその人の幸せ基準があるから。
- 魂が喜ぶ方へ進む
さあ、ギアが上がってまいりましたよ。笑
単純な話なんだけど、楽しいこと、ワクワクすることだけをする。やりたくないことはやらない。これだけ。
なので、まずは自分を理解すること。
自分がワクワクするのは何か。
心を満たすものは何なのか。
そこだけにフォーカスしていく。
勘違いしてはいけないのは、苦しさ・悩みなどから逃げるという意味ではないこと。
間違うこともあっていい。
その時は良かれと思ったことでも、結果として失敗するかも知れない。
人は完璧じゃない。
それもいつかは糧になる。
その経験がいつかの自分を助けてくれる。
目的は魂の成長。
- 孤独を恐れない
自分を理解するには、自分の深いところと向き合うことが必要。
方法は様々だけれど、基本的にそれはとても孤独な作業になる。
時には誰かの力を借りることもあるかも知れない。
それでも、人生の重要な決断は自分の意思でしっかりと選び取る。
「あの時、あの人にこう言われたから」なんて自分への言い訳を持たない。
自分らしく生きている人は、上手な孤独との付き合い方を知っている。
- 人生は起こると思ったことしか起こらない
これもどこかで聞いたことある言葉だよね。
誰でも幸せになりたいと思う。
不幸になりたいと思って生きてる人はいない。いやいるかも知れないけど。
不幸になりたいと思っている人には不幸が起こる。
幸せになりたいと思っている人には幸せが訪れる。
起こるというよりは、物事の捉え方。
例えば100円を落としたとしよう。
「100円も損した、不幸だ。」と思うのか。
「その100円が誰かの役に立ってたら良いよね、幸せだ。」と思うのか。
これはその人の心一つで変わる。
起こる出来事や他人の心を変えることは難しい、というかほぼ不可能。
でも自分の心を変えるのは一瞬。1秒で出来る。
いやでも人間そんな単純じゃないよ、と言われるかも知れない。
やっぱり100円落としたくないし。自分の為に使いたい。
それも良い。それで良い。どちらが正しいとかじゃない。
要は、魂が喜ぶかどうか。
そこを基準として生きていく。
魂が喜ばないことはやらない。そういう場所へは近づかない。
それを無意識レベルでやれるようにする。
そこまで辿り着くには数年単位の月日がかかるかも知れない。
その中での経験すべてが集まって、自分の中でようやく納得がいくようになるから。
見出しの言葉はそういう意味。
悟りの境地とでも言うのかな。
- 終わりに
さて、今回は趣向を変えてかなりアレな内容にしてみましたが……
あの、一応僕は特定の宗教の信者だったりとか、そういうわけではありませんので。
ただ、一つ言うなら、子どもの頃に親に連れられてキリスト教会へ数年行ってたことはありました。ほぼ毎週日曜日、説教と呼ばれる牧師さんのお話を聞いて。説教と言っても別に怒られるわけじゃないですよ。ありがたいお話というか。まあそんな感じ。
だから何だということでもないのですが、考え方などにおいて何らかの影響を与えているところもきっとあるのかなーとは思います。
ほんと思うけど、幸せというのは他人から与えられるものではなくて自分から掴むもので。
それが循環していくことでやがて自分の周りも幸せになっていく。
どうか、幸せに気づける人でいて。
きっとそれが世界を良くする唯一の方法。