映画『月の満ち欠け』
特に観に行く予定もなかったのだけれど、昨夜電話で話した母がこれを観に仙台に来るというので行ってみた。(母の目当ては作品というよりも主に目黒蓮なのですが)
まず先に親の話からすると、実はこの数年間会っていなかったんですね。会っても意味がないというか。そんな感じで。でも今回はなんだろう、行ってみようという気になった。たまたま仕事も休みだったし。映画の内容もまったく知らずに。
瑠璃も玻璃も照らせば光る
軽く物語の筋を追いながら書いていきます。
もちろんネタバレ。
小山内夫婦が授かった女の子。この子が夢の中で「“瑠璃”という名前にして」と訴えてきたという。ことわざの
「瑠璃も玻璃も照らせば光る」
の瑠璃だよ、と。
この時点からすでにどこか不思議な話ですよね。夢とは言えど、生まれたばかり(あるいはまだ生まれてもいない)の子がそんなことを言ってくるなんておかしい。
その瑠璃は、7歳の時に原因不明の高熱にうなされる。病院でもできる限りのことはしているけれども、検査には異常はないという。結局その後回復するのだが、母である梢は瑠璃の異変を感じ取っていた。
退院してから瑠璃が急に大人びたように感じる、と。
堅は気にし過ぎだよと笑って受け流すが、その後瑠璃の高田馬場のレコード屋へ1人で行くという行動で堅も違和感を覚える。そこで「高校を卒業するまでは1人で勝手にどこかへ行ったりしないで」と約束を交わす。
そこへ目黒蓮演じる三角哲彦と有村架純演じる正木瑠璃の関係が入ってきて、物語の点と点が時を超えて次々と繋がり合っていく。
そして、驚くべきその結末は───。
前世と生まれ変わり
こっから全開です。ここまで読んでくれてる方はどうかついてきてもらえるとありがたい。
たぶん、この作品のメッセージは、伝わらない人にはまったく伝わらないだろう。親の感想も「もっと現実の話かと思ったけどSFっぽかった」と。
うん、至極真っ当な反応だと思います。
作り物だから、現実にはありえないくらいに「わかりやすく」その糸が張り巡らされている。気づくためのヒントが沢山与えられている。
でも実際はそうじゃない。もっと小さくて、何気なくて、よく注意していないと気づかないくらいの些細な欠片が日常の中に存在している。
そもそも、自分が生きてる間に自分と関係のあった人が生まれ変わるなんて話がもう奇跡。本当に生まれ変わりがあったとしても、この次の生、あるいはまたその次の生、何千年も先のことかも知れない。
これをファンタジーと見るか。
それとも「あぁそうなんだろうな」と捉えるか。
頭で理解しようとすると普通は「そんなわけ無いだろ」となる。作中の大泉洋演じる小山内堅のように。当事者ならば尚更だ。
だって生まれ変わりとか、前世の記憶とか、いかにもあやしいもの。なにそれ?変な宗教の話?と(笑)。
前世の記憶をほとんどの人が憶えていない。だからそれが「在る」ことを証明できない。証明できないことは自分が「信じる」か「信じない」か。この2択しかない。
僕は自分の前世なんてわからないし憶えてもいないけれど、あると思う。この今を生きている今生の運命だったり、出会いや縁だったり、それは過去世からのつながりが影響を与えているのだろうと思う。というよりも感じる。
こんなことを書くときっと変なやつと思われるかも知れないが、もうそれでいいと思っている。だってこれが僕にとっての命の手応えだと感じるから。
僕のこの命は、今ここにしかなくて、どこかにあったもので、いつかどこかへ行くもの。
今日、12月8日は満月を迎える日であり、作中でも何度も流れていたジョン・レノンの命日である。
さらに言うと、目黒蓮が出演中のドラマ「舞い上がれ!」でも「silent」でも、まさに今日12月8日の放送回で母と久しぶりに再会する息子が描かれる。
僕はこれをどうしても偶然と思いたくはないのです。
月の導きでこの物語と引き合った。もともと行く気なんてなかったわけだし、そうとしか思えないんです。
映画を観た後、カフェで本当に久しぶりに母と向き合って話をしましたが、ゴリゴリに凝り固まった考え、世界観で、僕はただ受け流すことしか出来ませんでした。
わかりあえなさを抱えたまま生きていく。
きっとこれもこの今生のテーマなんだろうなあ。
魂の深い深いところへ届く物語。
映画『月の満ち欠け』は、僕にとってそういう作品でした。
鑑賞後、この感動を何か形に残しておこう、と思い、グッズを購入。
Tシャツも欲しくなったけど、あれは目黒蓮が着てるから良いのであって自分が着たところでな……と思い直しました。