あいどんわなだい

愛はどんなんだい

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」の話


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出会いと別れの3月。

 

まあ、自分から動かない限りはあまり関係ない話だったりもするんだけれど。

 

 

ステージが変わっていく。

景色も、人間関係にも、変化が訪れる。

 

 

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「神様は乗り越えられない試練は与えない」

(乗り越えられる試練しか与えない、とも。)

という言説がありますよね。

 

 

今まさに困難のさなかにある人にとっては「ふざけるな」だし、理解も納得もできないだろうし、考えを押しつける気は全然ないのでその人はこんなの読まなくていいしそのままでいいと思う。

 

 

 

 

でもやっぱり神様は乗り越えられない試練は与えていないんですよ。

 

 

 

というか、

神様は自分だから。

 

 

 

説明しよう。例え話で。

 

 

テレビゲームを始めるときに、だいたい難易度の設定っていうのが出来ますよね。かんたん、から、とてもむずかしい、みたいな。

 

 

で、自分がプレイしたい難易度を選ぶわけですよね。簡単にクリアしたいなら自分にとって楽勝な難易度を選ぶし、歯ごたえのあるプレイをしてクリアするのが好きなら、またそういう気分だったら難しいのを選ぶよね。

 

 

これって、自分がその世界では神様ってことですよね。

その世界に影響を与えることができる絶対的存在。

 

 

 

 

人生も同じでそれぞれが体験したい難易度というか、レベルを自分で設定している。まずこの仮定が出発点。

 

 

レベル上げとかだるいし、適当に歩いててエンカウントした敵を適当に倒していったらなんかレベル7とかくらいまでは上がったけどそのくらいでラスボスもサクッと倒せちゃったな〜楽勝〜みたいな人生もある。だいぶ極端ではあるけど。

 

 

逆に、いっぱい経験値稼いでレベル上げて、強い敵に勝ったり負けたりしながら進めていくストーリーもある。

 

 

どっちが楽しいか、面白いか、それは人によって違うよね。やってる中で考えが変わることもあるかも知れない。

でも自分で設定するのだから、基本的にはクリア可能な難易度にしているはずなんだよね。

 

 

そういうことです。

 

 

 

 

 

 

「こんなにつらいことはない」

「もうダメだ」

 

 

そんな風に思ってしまう経験も、自分の「意識」が、これをとある界隈では潜在意識とかハイヤーセルフと呼んだりするのかも知れないけど、呼び方は何であれ、自分がそれを体験したいから選んでいる。

 

 

 

宇宙の法則は完璧にできている。

それは人間の理解が及ぶような範囲じゃなく、また理解しがたいこともあるかも知れない。しかしそれを否定することは川の流れに逆らって泳ぐようなもの。流れに身を任せて、流れに乗って進んでいく、そうやって辿り着く場所が自分が辿り着くべき場所だったと思えるかどうか。ここにはある種の諦めが必要かも知れない。逆らっているうちは苦しい。

 

 

すべては必然で起こっている。

 

 

 

でも、だからと言って、何もしないでいいと言いたいわけではない。

自分の「好き」を見つけて、「心地良さ」に気づいて、「居場所」を作って、「喜び」を創っていく。

そうして得られるのが「安心感」。

 

 

これは、安心感と対極の「恐れ」や「怯え」から行動させようとしてくる力に対する最良の抵抗になる。

 

 

「恐れ」や「怯え」からの行動は大抵良い結果を生まないということは細々と説明しなくともきっとみんな体感していると思うのでここでは省きます。

 

 

大丈夫、安心していい。

自分の心地良さを信じればいい。

世界を創るのは自分の心と意識。

呼吸を整えて、体を整えて、心を整える。

要らなくなったものは手放して軽くする。

いつか必要になったらまたそれは自分のもとへやってくる。

そういう風に出来ているから。