あいどんわなだい

愛はどんなんだい

綺麗でも汚れてても花束にして



自分は、何者か。


そんな、答えの出ないような問題を常日頃考えて過ごしている人間は哲学者である。

大抵の人間は、そのようなことには目もくれない。
単純に「忙しい」という理由もあるだろうが、もっと簡単に、シンプルに日々を過ごしているのではないだろうか。


そもそも「自分」などというものは社会の中での立ち位置によって変化していくもの。会社・学校・家庭・友人同士・恋人…、それぞれの関係値によって何種類もの「自分」を演じ分けているのだ。どんな人間でも。


つまり、「自分」は一定の何かではなく、状況に応じていくつもの姿に変わり得るもの。



では、なぜ「自分は何者か」などという問いが生まれてくるのか。


それは、逆説的だが、何種類もの「自分」が日常に溶け込むことによって、「本当の自分」というものがどこに存在するのかが分からなくなってしまう、というところに起因しているのではないだろうか。


恥を忍んで私の身の上の話をすれば、独身であり、会社勤めをしており、友人は少ないが、自分のしたいことをある程度思い通りに楽しめる環境である。もしも家庭を持っていれば、かなりの時間や資産をそちらへ使い、自分の為に使える余力はほとんど残らないことだろう。

そういう生活も経験したが、自分自身の未熟さ故に破綻させた。


しかし、当時より現在の自分の方が「自分らしく」在るという実感を持っている。もちろん欲を言えばキリがないし、現在の自分に決して満足しているというわけではない。人間としての欠如も多く、成長しなくてはならないと感じてもいる。


それでも、長い年月をかけて、「自分は自分だ」という信念のようなものはようやく根づいたのだ。




「タイトル未定」という名前のアイドルグループに強く惹かれている。まだ今年から活動を開始したばかりの女性4人組グループである。

私が関心を持つようになったきっかけでもある楽曲(※特に歌詞に注目していく)について語っていきたい。



これまでのリリース楽曲は『踏切』『いつか』『主題歌』、そしてちょうど本日より公開となった『薄明光線』の4曲。そのすべてがオリジナル楽曲となっている。

自分がまだ何者でもない、何者かになれるのだろうかと揺れ動く感情を表現した歌詞が特徴的で、誰しもの共感を呼ぶような内容となっている。


彼女たちが歌っているメッセージは、私にとっては過去の自分の写し鏡である。
まさに20歳前後の、理想と現実の間でもがいていた頃の自分の姿が重なるのだ。特別な人間なんかじゃないことは知っている。けれども自分にしか出来ない何か、自分の本当の価値を見出してくれる何か、そういうものを見つけたくて、見つからなくて。


それから随分と長い月日が経った。
生きていればいろんなことが身に起きる。想像もしていないようなことも、望ましくない出来事も、下らないことも、飛び上がるくらい嬉しい気持ちも、歩けなくなるほどの絶望も。


「その中で生まれた」「強さ」も「弱さ」も「気持ち」も「言葉」も、全部抱えてここに連れてきた。
その中の「何一つ欠けたって」今の自分ではないのだ。(タイトル未定『踏切』より引用)



私もアイドルは数多く見てきた自負があるが、純粋に楽曲の魅力にここまで取り憑かれるというのは初めての経験かも知れない。
彼女たち自身、自分の本当の感情を込めて表現することが出来る楽曲だからこそ、これほどエモーショナルなものになっているのだろうと確信している。


そんなわけで、ご縁があればタイトル未定をぜひチェック宜しくお願いいたします。


『薄明光線』





(※画像はすべて「タイトル未定」公式Twitterより)