あいどんわなだい

愛はどんなんだい

未来のルートは誰でもない僕が決めるの


ある歌のMV(大切な曲なのでここでは明かさないが)を見ていて、不意に思い出したことがある。


それは大学1年の夏休み明け、いつもの電車に乗ってそのままキャンパスへ向かわず、街をほっつき歩いていた時期のこと。期間にしてほぼ1ヶ月くらいだろうか。公園のベンチで、喫茶店で、ゲームセンターで。水辺で遊ぶ親子を、汗を流して歩くスーツ姿の会社員を、退屈そうな表情でゲーム画面と向き合う兄ちゃんを見ていた。そうやって「何もしない」時間を作ることが自分には必要だ、とでも思っていたのだろうか。それとも、居場所を探していたのだろうか。前期の大学生活の中で、友達も出来たし良い感じになっていた異性もいた。しかしながら、その中に居る自分に「違和感」がずっとへばりついていた。このまま4年間で卒業して、就職して、周りの皆と同じように社会の一員になっていく…。それを良しと思えない自分が居た。講義には行かず、夕方からのコンビニバイトを終えて帰宅する毎日。親は当然大学へ普通に通っていると信じ込んでいた。退学したい、と申し出た時には当然猛反対に遭った。将来のことをよく考えろ、親の気持ちがわからないのか、etc。しかし、もうあそこへ戻るつもりはなかった。思い込んだら一直線、変に頑固なところがあるのは当時から未だに変わらないなと思う。


結局のところ、その自分の選択は間違いだったのだろう。周りと同じように学んで、友情を育み、人間性を高め、社会に有用な人材となっていれば、今頃はそれなりのキャリアを積んで責任あるポジションで仕事に邁進していた、のかも知れない。まあ人生何があるかわからないけれどともかく。それが人生の成功なんだろうとも思う。…うーん、これだと僻んでるみたいだな。まあ間違ってはないか。同い歳くらいの夫婦、あるいは親子連れを見かけては、彼我を比較して堂々と胸張れないもんな。


それでも。


僕はそんな僕を肯定したい。
僕は僕自身を、抱きしめてやりたい。


誰が認めなくても、自分が認めてやればいいんだ。