あいどんわなだい

愛はどんなんだい

そんな「いつか」を夢見ている

年の瀬ですね。そろそろ1年を振り返るタイミングか。

今年はブログを始めました。

以前にも、長らくヲタブログを書いていたが、それはもうヲタクに特化していて(たまに日常も書いてはいたが)。
そこから繋がった人も多く、それはかなりヲタ活動に有益だったなあと思う。
舞台の感想を書いたら演出家さんが読んでくれて反応もらったりもしたっけなあ。懐かしい。

今回は、特に目的があってというわけではなく。
目的みたいなものがあるとすれば、最初の投稿でも書いたけど「自分ごと」を語ること。

好きなもの、興味のあるもの、考えていること、嫌なこと、とにかく何でもいいんだけど「自分」にまつわることについて言葉にしていきたいと。

ブログを書くようになってから、読書量も明らかに増えたな。これも今年起きた変化の一つ。

もともと読書は好きだったけれど、忙しさとか、心理的なめんどくささ、それらが勝って昨年辺りまでは年間でせいぜい読んでも1桁。それが今年はざっと30冊以上は読んだ。それでも全然ショボいっちゃショボいと思うけども。
他の人がどうか分からないけど、自分的には、日常的に文章に触れていないといざ書きたいなと思っても言葉が出てこないなって思ってる。
まあ、文体が思いっきりその直前に読んだエッセイの影響受けまくってたりするんだけど(笑)。それもまた面白いかなと。

                                                  • -

私は、自分のことが嫌いだと思っている。もうそれが当たり前になっていて、別に変えようとも思わない。

それなのに、一方では自分を掘り下げようともする。どうして?

果たして本当に、私は私のことを「嫌い」なのだろうかーーーー。

                                      • -

2020年。
新型コロナウィルスが、世界を一変させたという。
自粛しろ、会話を控えろ、距離を保て、マスクを着けろ。

それまでの当たり前が、当たり前でなくなった。

人間は社会的動物である。

コミュニケーションをとろうとする時、相手から様々な情報を受け取りながら多角的にメッセージを読み解いている。

その間に、分厚いバリアーが張られるようになった。

例を一つ挙げる。
保育園での保育士と園児たち。
保育士はマスクをして園児の前に立つことになる。幼年期にある園児たちは、まだ言葉によるコミュニケーション力は未熟であるため、保育士の表情からメッセージを読み取り、学んでいくという。
その保育士の口元がマスクで覆われてしまっている。このことが園児たちの発達に影響を及ぼしている、という話だ。

これはTVニュースの一コーナーで取り上げられていた内容。
このコロナ禍で教育を受け、育っていく子どもたちの未来が不安になってしまうような事例だ。

                                      • -

誰もが問われている。
「どうやって生き抜くのか?」
「何を大切にして生きるのか?」

そんなに難しく考えても仕方ない?
そう思う人はそれで生きていける人だろう。

私は、「自分を愛さなくては生きられない」と思った。

自分を大切に。自分を愛する。
自己愛。ナルシシズム
自分を愛せずに、人を愛せるか。


この世から去っていってしまった著名人。
素晴らしい表現者
この世界と向き合う中で、「生きる」ことそのものに空虚さを覚えてしまったか。真相なんて分かりはしないけれど。

私は、歌や、小説や、映画や、ドキュメンタリーを今まで以上に見て、聴いた。
そのどれもが、「生」と「死」を、そして「どう生きるか」の考えを私にくれるものだった。

やっぱり自分を大切にしなくちゃならない。そこから、全ては始まる。


・行きたい場所
・したいこと
・欲しいもの

まず、具体的に書き出してみた。
そしたら思ったより沢山出てきた。

なんだ俺、こんなに未来に期待して生きてたんじゃん。

半ば諦めながら生きてたつもりだったけど。こんなにも願望があるのかと、少し意外に思った。

                                      • -

新型コロナウィルスも、いつか必ず収束する時がくる。今は耐えよう。というか、やり過ごそう。なんとかなる。自分からやめなければ人生は続く。

2020年はもう少しで終わるけど、新年はまた新たな気持ちで迎えられそうだよ。

願いを一つ一つ叶えていくような、そんな2021年を歩いていけたらなと思っている。