あいどんわなだい

愛はどんなんだい

Run,run,run走って君だけの場所へ・前編


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箱根駅伝に出たかった少年の話をしようと思う。

 

 

 

 

小学校の低学年くらいだったと記憶している。

その少年は、自転車を持っていなかった。(やがて親に買い与えてもらえることにはなるのだが。)

周りの友達は持っている子の方が多くて、外遊びをする際には田舎道を走って友達について行っていた。

その頃にたくさん走った影響か、それほど運動神経に恵まれていたわけではなかった少年も、「長い距離を走る」ことに関しては少しだけ得意になっていく。

それでも、毎年行われる校内のマラソン大会ではなかなか学年10位以内に入れなかった。

6年生。小学校で最後となるマラソン大会の日がやってきた。「今年こそはなんとか10位以内に入ってやる!」と意気込んでいて、朝に走り込みをするなどその気合いは相当なものだった。

そうした努力が実ったと言って良いのかも知れない。その年は8位入賞を果たした。1位にはなれなかったものの、目標を達成できたことに少年はとても満足していた。

そして走って競争することの楽しさも感じるようになっていた。

 

 

翌年4月、中学に入学する。生徒は必ずいずれかの部活動に所属する決まりがあり、4月中は仮入部期間として体験入部することができた。当時、『SLAM DUNK』というバスケットの漫画が大流行していた為、少年も最初に仮入部したのはバスケットボール部だった。

すると、そこには20人以上の同学年生徒がわんさか居る。バスケットのプレイヤー人数は5人。同学年だけでもその4倍以上…。さらに先輩たちもいる。バスケするのは好きだったけれども決して得意と言えるほどではなかった少年は、そこであっさりバスケットボール部への入部は取りやめる。

 

 

小学校から仲の良かった男子たち数人も同じようにどこに入るか決めかねていて、半ばノリで行ってみたのが陸上競技部だった。そしてそこで少年は出会ってしまう。

 

 

小学校時代、ずっと片想いをしていた女子が、まさにその陸上競技部の体験入部の中に居たのである。

少年は、「これは運命だ…!」と確信する。

 

 

小学3,4年で2年間同じクラスで、お互い仲の良い男女グループの中に居たので交流もまあまああった。しかし、想いを伝えることはできないままだった。(どうやらバレてはいたらしい)

今まで出会った中で一番かわいい人。つまりは世界一の美少女で、ずっと見ていたかった。

そんな子が同じ部活にいるのである!

これはもうバラ色の中学生生活が約束されたようなもの!

 

 

 

陸上競技部というのは、大きく3つのブロックに分かれて練習を行う。

短距離走ブロック。長距離走ブロック。そしてフィールド競技ブロック。各自の希望するブロックに入るか、または練習や試合の中で顧問が適性を判断して指定されるというケースも。

少年はやはり得意分野である長距離を選んだ。

 

 

最初は先輩たちに敵わなかったものの、本格的に練習を重ねていくとその差はみるみる縮まっていった。夏を迎える頃にはもう部内の同学年に長距離で負けることはほとんどないくらいになった。

 

 

夏休みくらいになると、秋の駅伝シーズンへ向けての練習が始まっていく。駅伝は部内のメンバーだけではなく、他の部活動からスカウトされた有望な生徒も数人練習に加わる。この中のバスケ部のアツシ君(仮名)が手強いライバルだった。スピードは少年よりも速く、ただ少し調子にムラがあって良い時と悪い時の差が大きいタイプだった。コツコツ真面目なタイプの少年は何よりも安定感を武器としていたので、その自分の強みを活かして競い合おうと思っていた。3kmのタイムトライアルでは勝ったり負けたり。ほぼ互角。

 

 

結局、1年の秋の駅伝では地区大会に出ることができた。ただ、次の県大会では控えに回った。

 

 

秋が過ぎ、冬が訪れる。東北は雪に包まれる。そんな中でも、ロードを使った走り込みや、クロスカントリー大会に出場するなどして走力を磨いた。

 

 

2年、3年とひたむきに練習を積み重ねた。

3年時には部の副部長、そして長距離走ブロックのリーダーに任命される。

夏の県中総体では3000mで決勝に進出。後に箱根駅伝常連校のキャプテンになり、実業団へ進んだ選手、県内の某強豪校の監督を務める選手などと一緒にレースを走った。まったく歯が立たなかったが、強い人と走ることは単純に楽しかった。内側で燃えるような闘志が湧き上がった。

ちなみに少年は成績も優秀で、むしろ部活動よりもそちらの方で目立つ存在だった。

先に書いた3000mレースに臨む際には、事前にいくつものレースパターンを考え、目標タイムから逆算して各ラップのタイム設定、想定より速い場合、遅い場合など細かくノートに書き込んでシミュレーションしていた。そこまでしている中学生は当時そうそう居なかったのではないだろうかと思う。

それでも勝てないものは勝てないのだから、スポーツの勝負の厳しさというもの。

 

 

そんな彼を周囲は進学校へ進むものと思っていたのだろうが、少年の中には別の思いがあった。

 

 

とある日の学年集会において、15歳の決意、みたいなものを発表する会があった。学年全員である。それぞれなりたい職業や人柄や取りたい資格などを順に語っていった。

 

 

そこで、少年はこう宣言をする。

 

 

 

 

「僕は箱根駅伝に出たいです!!」

 

 

 

 

 

(続く、といいなぁ)